平維盛入水の山成島

山成島

平家物語で平維盛が入水したという山成島です。
平維盛(たいらの これもり)は、平安時代末期の武将で、平清盛の孫にあたります。
『平家物語』によれば、寿永3年(1184年)3月28日、熊野那智の沖合にある山成島(やまなりじま)付近で入水自殺したと伝えられています。横山先生の漫画「平家物語」でもそのように描かれてました。

維盛は一ノ谷の戦いでの敗北後、平家の陣を離れ、高野山で出家し法名を「浄円」としました。その後、熊野三山を参詣し、那智の浜の宮王子から小舟で海に出て、山成島に上陸。島の松の木に祖父・父・自身の名を刻んだ後、さらに沖へ漕ぎ出して入水したとされています 。

ただし、維盛の死については異説も存在します。一部の伝承では、彼は実際には生き延び、紀伊国を転々とした後、野迫川村で余生を過ごしたとも言われていますので、奈良県野迫川村では今も『平維盛の大祭』を個なっていたりしますので定かではありません。結論として、伝統的な説では維盛は山成島付近で亡くなったとされていますが、その最期には諸説あり、確定的なものではありません。