中村 覚之助顕彰碑です。
JR那智駅前に建つ日本サッカーの始祖と云われる、中村覚之助氏の顕彰碑。中村覚之介氏は日本初のサッカーチームを作り、日本サッカーの礎を築いた地元那智勝浦町出身の方です。
今日の日本サッカー代表の活躍を見守り続ける中村覚之助さん。
現在のサッカーの根幹、中村覚之助さんが東京高等師範学校時代に創設したア式蹴球部であり、これが日本最初のサッカーチームと伝えられています。 フィールドの整地から始まり、明治33年には横浜で日本初の対外試合を実現。 これが報道され、全国から指導依頼が殺到しました。中村覚之助さんは志半ば28歳の若さで急逝するものの、サッカーを日本に紹介、その普及に大きく貢献しました。
なお、日サッカー協会のシンボルマーク八咫烏の発案者は、東京高等師範学校の内野台嶺氏を中心とする人たちであり、内野氏は彼の後輩にあたります。